「藝人春秋」水道橋博士/最近読んだ本
水道橋博士の「藝人春秋」を読んだ。
「藝人春秋」を読むに至った経緯は、遠藤周作→中島らも→ビートたけし→松本人志→「藝人春秋」という流れである。
中島らもからどうやってビートたけしに繋がったのか忘れてしまった。けれど、ビートたけしの本をたまたま読んだんです。私は正直これまでほとんどビートたけしに興味が無かった。けれど、たまたま手に取った本に、彼の大学入学後の人生の迷いと焦燥と決断のようなものが書かれていて、それが大変興味深かったのです。
私はビートたけしというのは、何も苦労無く成功している人なのだと思っていた。若い頃からずっと第一線で活躍しているし、交通事故にあっても復帰して映画監督として成功して、とにかく運が良いんだなとその程度の認識だった。きっと、人並みの苦労はあったのだろうけれどと。
なので、その本に書かれていた、ビートたけしが昔タクシーの運転手をしていたという記述にかなり驚き度肝を抜かれました。そういう自分探しの時期が、あのビートたけしにあったなんて!と。そういう時期を経ているのか。
そういう時期ってみんなにあるものなのだろうか。
私の自分探しの時期はいつまで続くのだろうか。もう探している場合ではないのだろうか。
そしてビートたけしと松本人志の対談も読み、松本人志の本もいろいろ読んで、「藝人春秋」に至った訳です。
「藝人春秋」を読んで思い出したことがあった。
まだ子供の頃に公衆浴場に行ったとき、「あの女の人のおっぱいはこれから大きくなるんだな」と思ったことです。子供の頃の私は女性のおっぱいはみんな大きいものだと思い込んでいた。もしかしたらあれで完成されていたのかもしれない。けれど、私は何というか、能力に差というものは無いんだと思っていた。お相撲さんはみんな横綱になれる能力があるのだと。それがなれないのは、努力が足りないからなのだろうと思っていた。私が算数が嫌いなのは、やろうと思わないから。努力しないから。好きなことがあって、努力すれば誰だって何にだってなれるとそう思っていた。
でももしかしたらそうじゃないのかなーと、最近は思います。そういうことを思い出した。
持って生まれた才能って何なんだろう。
松ちゃんのあの自分が一番だという確信。本心は分からないけれど、どうしたら自分は一番だって言えるのだろう。